![]() ![]() ![]() ![]() |
制御盤・保護盤の製造と精密板金、人と技術のトータルクオリティ、高橋電機株式会社
トップ > 高橋電機のコンセプト > 地域との関わり
二本松市は、福島県のほぼ中央に位置し、西に高村光太郎の詩集「智恵子抄」に歌われた標高1,700mの秀峰安達太良連峰、東に阿武隈山系を望み、その中央を阿武隈川が流れ、東西に21.0km、南北に13.5kmと横長の地形になっています。
丹羽氏十万石の城下町として栄え、華やかな城下町文化を支えた職人たちの華麗な技と精神が今も脈々と受け継がれ、銘菓、銘酒、家具、麺、農産物、漬物、民芸品など数々の名産品があります。
昭和30年から始まる、二本松の菊人形は、回を重ねるごとにスケールと豪華さを増し、今では日本最大菊の祭典との定評を得るまでになりました。
日本三大提灯まつりのひとつである、二本松のちょうちん祭りは、毎年10月に華々しく繰り広げられます。7台の金箔漆塗りの太鼓台が、祭囃子もにぎやかに市内をねりあるき、また夜は、一台に約350個もの紅提灯がつけられ豪華絢爛に秋の夜を彩ります。
高橋電機のある、福島県二本松市渋川は、同市油井、上川崎とともに平成17年11月まで「安達町」として、昭和30年以来50年という長い年月を経過して参りました。
高村光太郎の詩集「智恵子抄」で知られる光太郎の妻、高村智恵子は、その安達町油井(二本松市油井)に、明治19年5月20日、造り酒屋「米屋」長沼家に長女として生まれました。
東に阿武隈川が大きく屈曲するあたり、西方には母なる山、阿多多羅山(安達太良山)を望む緑深きふるさと…。そんな風土に智恵子は生まれました。
18歳で単身上京、日本女子大学に入学、油絵に惹かれ、卒業後も洋画家の道を選んで学んでいたとき、高村光太郎との運命の出会いを果たします。やがて二人は結婚し、本郷駒込町のアトリエで窮乏の中にありながらも充実した創作生活を展開していきました。
純愛に生きたふたりが手をたずさえて登った「鞍石山」。ここは、安達太良山と阿武隈川が同時に眺められる唯一の場所とされるほどの景勝地です。現在「智恵子の杜公園」として整備され、ゆっくり散策すると光太郎との燃える恋を彷彿とさせます。
しかし、順調な生活を崩壊させたのは、智恵子を襲った精神の痛みでした。晩年に没頭した紙絵の数々には光太郎への純粋な愛が注ぎ込まれ、見る人の心をとらえて放しません。
平成4年、安達町は、智恵子の生家を復元し、当時の佇まいを蘇らせました。格子をめぐらせた二階建ての軒先には新酒を伝える杉玉が下げられ、地方隋一といわれた往時の造り酒屋の様子を垣間見ることができます。
智恵子がこよなく愛した「ほんとの空」があるふるさと。
高椅電機では、二本松市の「ほんとの空」の下、美味しい空気や緑豊かな自然に囲まれた恵まれた環境の中で「ものづくり」に携われる喜びを感じながら、「ものづくり」に正面から向かい合ってお客様に喜んで頂ける製品を世に送り出しております。
「樹 下 の 二 人 」高村光太郎 『智恵子抄』より
ーみちのくの安達ヶ原の二本松 松の根かたの人立てる見ゆー
あれが阿多多羅山、 あの光るのが阿武隈川。
ここはあなたの生まれたふるさと、
あの小さな白壁の點點があなたのうちの酒庫さかぐら。
それでは足をのびのびと投げ出して、
このがらんと晴れ渡つた北国の木の香に
満ちた空気を吸はう。
あなたそのもののやうな此のひいやりと快いすんなりと弾力ある雰囲気に肌を洗はう。
私は又あした遠く去る、
あの無頼の都、混沌たる愛憎の渦の中へ。
ここはあなたの生れたふるさと、
この不思議 な別箇の肉身を生んだ天地。
まだ松風が吹いてゐます、
もう一度この冬のはじめの物寂しいパノラマの地理を教へてください。
あれが阿多多羅山 あの光るのが阿武隈川。
「あどけない話」高村光太郎 『智恵子抄』より
智恵子は東京に空が無いという、
ほんとの空が見たいという。
私は驚いて空を見る。
桜若葉の間に在るのは、
切っても切れない
むかしなじみのきれいな空だ。
どんよりけむる地平のぼかしは
うすもも色の朝のしめりだ。
智恵子は遠くを見ながら言う、
阿多多羅山の山の上に
毎日出ている青い空が
智恵子のほんとの空だという。
あどけない空の話である。
※『智恵子抄』
昭和16年8月20日龍星閣から刊行された高村光太郎の第2詩集。智恵子との恋愛のはじめから亡くなった後まで、30年間にわたって書かれた詩29篇、短歌6首、散文3篇が収録されている。戦後、さまざまな出版社から同名の詩集が刊行。それらには最初の版の刊行後に書かれた作品や、未収録のものも収められている。